ライフスキルデザイナー

世界でいちばん美しいハッピーエンド・プロジェクト起動。
マートワン
ゲンキポリタン
おそだてコム

記事一覧(9)

自分に正直な思いの伝え方

アサーティブとは積極的自己表現。「いい子」と言われる痛みを手にしている人には苦手かも。 周囲を気遣うはじまりは、負のスパイラルに進化し自信を奪います。自信のなさは、自ら人を遠ざけ、孤独感が高まります。孤独感は「自分が受け入れられないこと」を恐れます。恐れは、さらに「相手がどう感じるか」の優先が強化されます。受け入られたいので、「偽物の自分を作る」のが上手になり、言葉も、態度も、自分からは遠くなります。ビジネスのように、うまくやります。それを払拭するヒントは、あなたの昔。小さなこどもの頃にあります。小さいこどもは、「あたしはフジオちゃんが大好き」とか、「さびしくなるよ、もっと一緒にいたい」とか、「いやだ、そんなに怒ったら。ゆうこ、悲しくなるよ。」というように感情を“自然なこどもの心”から素直に表現します。でも大人になるにつれ、素直に言わなくなってしまいます。なぜでしょうか?言わないことが成長だとでも考えているのでしょうか?事実、そんなバカみたいなこと言えるか。という人も多いでしょう。でも、そんなことはありません。感情を表現するのは恥ずかしいことではありません。感情はどんどん表現してもいいのです。感情の表現をすれば、なにが起こるのか。感情を言葉にすることで、話している人から、固有の“その人””人間くささ”が浮かんで見えます。さらにボディ・ランゲージをすると、話している人から飛び出した固有の“その人”が相手に近づいていきます。自然体のボディランゲージコミュニケーション全体の80%はボディ・ランゲージが占めるといいます。言葉にしても通じない切実さがコミュニケーションの普通ですから、思いは言葉に積極的に変換しないとますます追いつきません。勇気の用意をしても、ためらいと遠慮のせいで欠けた言葉の代わりに、複雑化した表情、仕草が補足してしまうと火に油を注ぐような混乱を示すので、相手は仮想を決め込んで断定する荒技を用いるようになります。仕草や動作は言葉と一体化していないと誤解を与えますが、作った自分は演技するタレントのように、うまくやってのける。でも真実の場面には、ちぐはぐになります。そんなあなたが知っておくことは・・・・● 主語「わたしは」を使う● 意見や価値観を伝えることで違いを知る。● 違いを知った上で、共感できないか探る。● 共感できるようになる、つまり互いの意見や価値観を尊重する● 尊重したときに、合意する場合もあるし、しない場合もある● 合意できない点について、互いに自分の意見を伝えあう● 目的を共有する場合は、違いがあっても最善を求めていく自信がない、つまり自己受容ができていないと、意見を否定されたら、自分が否定されたと思いがちです。自分以外の者を通して自分の思いを伝えようとするやり方には、無理があるので関係はこじれます。なぜ、自分以外の者を通して自分の思いを伝えようとするのでしょう。あなたが感情を隠し続けた結果、もうこれ以上は隠せなくなった感情がするのです。

私の男

女性は恋愛に陥ると用心深くなります。防衛本能が働くのは当然ですが、それだけではありません。陥落不可能な要塞を作って、どうするか黙って見守ります。そうなると非情にもなります。程度があると思いますが、やり過ぎかどうかは当人たち次第なので、一概に線を引けません・愛とユーモアでギフトできる男性なら女性も安心できると思います。暴力を振るうのは論外で、愛する力のない証明でしかありません。愛する力は異性だけに発揮されるわけではありません。好きになるのは簡単ですが、愛することは、決して簡単ではありません。恋するのも同じです。相性があるからです。相性には自我のバランスと人生体験が反映されます。自我のバランスとは、5つの自我のバランスのことで、5つの自我には「厳格な父親の心」「保護的な母親の心」「大人の心」「自由で無邪気な子どもの心」「順応する従順な子どもの心」の5つがあります。5つの自我の高低はそれぞれ人によって違います。俗に「性格」と言われているのは、人の心を5つに分類した「5つの自我状態」が放出する心的エネルギーのバランスの違いから生じる個人特有のものですが、人生体験の影響を強く受けていて、心的エネルギーのバランスが良い人は少ないようです。心をオープンにするために、身体の一体感を求めます。女性が癒されるセックスは身体を通じて元気を贈りますね。ほとんどの女性は男性が発見して開発してくれるのを期待しているようですが、あまり賢いやり方ではありません。ほとんどの男性は知らないからです。男同士で話しているとバカみたいにすごい話がでてきます。本当に絶頂に達すると、わかります。女性らしさが匂い立ってきます。「入れて」と求めるのは早く終えたいからとだいう女性側の説もありますが、一体感が欲しいからだと思います。感極まって密着したくなるのです。男性もおなじです。本当に身も心も一体となった快感が高ぶらないと泣いたりしないと思いますが、達した女性のほとんどは女性は哭きます。たったひとりの愛する男が自分を心から大切に扱ってくれていると感じたとき、達することができます。与えてもらうものではなく、自分の心と身体で作り出すものなのです。迎えにきてくれるものではなく、自分が見つけ出すものなのです。

愛することは祝福

女性は恋愛に陥ると用心深くなります。防衛本能が働くのは当然ですが、それだけではありません。陥落不可能な要塞を作って、どうするか黙って見守ります。そうなると非情にもなります。やり過ぎかどうかは当人たち次第です。愛とユーモアでギフトできる男性なら女性も安心できると思います。暴力を振るうのは論外で、愛する力のない証明でしかありません。愛する力は異性だけに発揮されるわけではありません。愛するとは、簡単にできることではありません。恋するのも同じです。相性があるからです。他の女性に走るのも同じです。簡単に恋する人がいます。ドンファンと呼ばれる男性がそうです。ヤリマンもそうです。彼らは依存症です。花に高山植物が、魚に深海魚がいるように、人にも種類があります。その種類で恋をして愛していればいいのです。愛し合う二人と、愛し合ってるつもりの二人では、愛の行為であるセックスにも違いがあります。遊びのセックスと本気のセックスでは、「どちらが気持ち良いか?」という質問がよくあります。個人の違いですが、遊びの方が気持ちが良い場合が多いと思います。ただスポーツのようなもので飽きがきます。飽きることなく続けられるとのも才能ですが普通ならすぐに飽きます。本気だと飽きません。愛情があるからです。それほど愛情とはすごいものなのです。愛の行為は祝福です。愛おしいと思うからひとつになりたい、溶け合いたいと思う。自分がなくなってもいい、相手の中に入りたい、、混じってしまいたいと思うのです。祝い、分かち合う・・・祝福の行為です。そんな気持ちになりたい相手がたくさんいたら異常です。相手とまじわる目的が自分を失うためです。喪失でしかありません。当人は愛がどいうことなのか、わからないまま、愛のようなものを愛と思い込んで没頭します。同じ言葉で語り、同じ行為をしていても「あり方」が違えば、全くの別物ということがあります。愛とは、相手の「あり方」と関連付けられた気持ちの中で引き起こされることです。

素敵な愛の育て方

多くの人がもっと良くなりたいと漠然と考えています。その漠然は身近なハッピーで紛らわせていきます。そして空虚感に襲われ、クヨクヨする数日があって、頑張らないと、漠然にムチ入れます。そうして月日が流れていきます。現実は自分が作り出したものです。自分自身の奥の奥、深い場所に創造の根源があります。人はそれをなんと呼ぶでしょうか?あなたが聞いたいくつもの言葉があります。あるがままの現実をあなたの魂は知っています。自分はそれを「5つの自我」と呼んでいますが、魂のことです。5つの自我とは、自由で無邪気な子どもの心、順応する従順な子どもの心、厳格な父親の心、保護的な母親の心、大人の心5つです。「5つの自我」は自分の内面でひとつになり、魂になり、伸びたり縮んだり、変幻自在ですが、魂はあなた5つの自我の総計以上のものにはなりません。あなたの現実を産み出したのは、あなたの「5つの自我」です。つまり現実は、あなたの「5つの自我」を知る手がかりなのです。幸福でないと考えていたなら、「5つの自我」に問題があると感じるでしょう。でも、それは正しい認識の仕方でしょうか?もし幸福でないとしたら、手にした幸福を何に使うか、幸福の本質を知るのが正しい認識の仕方です。それは決して簡単とは思えませんが、手にした幸福を何に使うのかが分かっていないと、幸福を手にすることはより困難になります。なぜならあなたの外側に幸福はないからです。人は誰も自分の内側にしか幸福を築けないし、使いようがないからです。理想的な恋愛は、相手と魂で繋がることでしか実現しません。相手の5つの自我が自分の5つの自我と繋がって、支え合い励まし合うとき、傷ついた自我に癒しが起こります。精神的な愛と肉体的な愛は補完し合います。具体的には言葉、まなざし、態度、行いで表現されていきます。誰彼なしに通じるものではなく、二人に通じるものです。お互いの5つの自我が素敵なバランスに育まれ、素敵な愛が育まれるように幸いです。